ホーム フォーラム 光の勢力による地球革命と宇宙人 掲示板 ルネ・ゲノン「世界の終末」を読む

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    • #1569
      Nennezabutonさんとこのある方

      私は、「B.ロバーツの体験した無我の世界」および「シャンカラの説くワンネスの世界」で人間個々が自身の内面の探究により、個人的アセンションを果たしていく過程を描写してきました。
      今回の連載では趣向を変えて、ルネ・ゲノン著「世界の終末 現代世界の危機」をテキストとして、人間文明のアセンションの世界を探検してみたいと思います。

      ルネ・ゲノン(1886ー1951)はフランスの思想家であり、私が紹介したシャンカラ(700ー750)に代表されるヴェーダ哲学やイブン・アラービー(1165ー1240)らが展開したイスラム哲学などの背後にある東洋の秘教的伝統を厳密に西洋社会に導入しようとした人物でした。彼の思想は後世の西洋の知識人たちに大きな影響を与えました。
      「狭き門」や「贋金作り」を代表作とするフランスのノーベル文学賞作家アンドレ・ジッド(1869−1951)が晩年になって「もしゲノンが正しければ私の全作品は崩壊する。…そしてゲノンの書いたことに反対するいかなる理由も見出せない」と語ったと言われています。
      また、ルネ・ゲノンはブラヴァツキー夫人によって創始された神智学運動を批判したことでも有名です。彼は神智学を東洋の秘教的エソテリズムを騙(かた)った西洋的物質主義に過ぎないと見ていたのです。
      ルネ・ゲノンは、西洋人である自らを真摯に東洋の秘教的エソテリズムに適応させていった人物として描くことができるかと思います。

      一方、ブラヴァツキー夫人(1831−1891)の創始した神智学は、現代のニューエイジ思想に多大な影響を及ぼしました。
      神智学は、ルネ・ゲノンのアプローチとは対照的に、西洋的な理解では到底理解できない東洋の秘教的伝統のある部分については、西洋的解釈で解釈し直したところに特色があります。

      ルネ・ゲノンの思想とブラヴァツキーの思想を文学で喩えるならば、前者は知識人が愛好する純文学、後者は一般大衆に人気の大衆文学になぞらえることができるでしょう。

      次回より、本文の紹介に入ります。

      本日はこの辺で。

    • #1572
      光の預言天使E.T.
      キーマスター

      期待しています!

    • #1574
      Nennezabutonさんとこのある方

      本日は、ルネ・ゲノン著、田中義廣訳「世界の終末 現代世界の危機/La Crise du Monde Moderne」(1986、原著は1927)の16ページの文章を抜粋し、宇宙のサイクルについて考えてみたいと思います。

      抜粋
      「ヒンドゥーの教義によれば、人類のサイクルの期間は、原初の精神性が次第に隠れていく四つの段階を示す四つの時代に分かれる。これらは古代西洋の伝統が、黄金時代、銀の時代、青銅時代、鉄の時代と名付けたものと同一である。
       あらゆる時代に先行する“非人間的“知識という財宝は決して失われることはないが、次第に厚いヴェールに覆われて人々の目から隠され、発見するのが極端に困難になっている。
       しかし、このようにして隠されたものがこのサイクルの終わりには再び目に見えるようになるであろうということも言われている。このサイクルの終末は同時に新たなサイクルの始まりでもあるのだ。」
      抜粋終わり

      ルネ・ゲノンはここで、人類の文明はある種のサイクルによって永遠に繰り返されるものであり、あるサイクルの始めから終わりに至るまでは、人類はソース/宇宙の根源からの“非人間的知識“に徐々にアクセスすることが出来なくなり、文明が劣化していくこと、そして、そのサイクルが終わり、再び人類がソースとのアクセスを取り戻して新しい文明のサイクルが始まることを述べています。そして、これが繰り返されることを述べています。

      ただし、このゲノンの理解の背後には滅びへの恐怖が隠されています。彼は全宇宙の全文明が完全に滅び去る時が来ることを理解していない。これは、ゲノンが鉄の時代に生きていて、ゲノンのソウルが、スピリットがソースと分離状態にあることが原因なのです。

      以下に、川面凡児(かわつらぼんじ)著、上田旭訳「祖神垂示霊魂観」(2016、原著は漢文で1926)の87ページから、日本神道における宇宙のサイクルの理解を抜粋したいと思います。

      抜粋
      「その創造には中心があり発展がある。それゆえに始めがあり、根本があり、帰入があり、終わりがある。一方、ぞの出入循環の繰り返しは尽きることがなく終わることはない。それゆえに宇宙の創造整理、堅固大成には初めがあり、終わりがある。同時にまた始めがなく終わりがない。」
      抜粋終わり

      古代日本から伝わった伝統的知識によれば、私たちが今住んでいる宇宙にも必ず終わりが訪れるのです。
      ですから、私たちは、この宇宙が収縮を始め、ソースへの帰一を開始する頃には、死への恐怖を超越していなければならないのです。
      宇宙は収縮し始めるのですから、やがて、地球は火星や金星や太陽と衝突して粉々になる時が来るのです。私たちの現世も霊界も消滅する時が、個人としてのソウルもスピリットも消滅する時が来るのです。
      ですから、各個人がアセンションを果たし、ワンネスに目覚め、個々のソウル、個々のスピリットのソースからの分離的感覚を超越しておく必要があるのです。

      川面凡児によれば、個々のソウル、スピリットがソースと繋がっている状態を“直霊(なおひ)“、繋がっていない状態を“禍津霊(まがつひ)“と呼んでいます。川面凡児は、私たち一人一人が日々の行(ぎょう)を怠らず、直霊が宇宙の大直霊との繋がりを保ち、常に、身体の知情意と身体細胞活動を監視してこれらの統一を図っておかなければならないと述べています。このような状態を保てていない状態を禍津霊と呼んでいるのです。

      ルネ・ゲノンはやはり西洋人ゆえ東洋の秘教的伝統の視点から観ると足りない部分があり、本日はいきなり厳しい展開となってしまいました。

      本日はこの辺で。

    • #1575
      Nennezabutonさんとこのある方

      本日は、ルネ・ゲノン著、田中義廣訳「世界の終末 現代世界の危機/La Crise du Monde Moderne」(1986、原著は1927)の18ページの文章を抜粋し、エネルギーの流れについて考えてみたいと思います。

      抜粋
      「全てのことにおいて、下降的傾向と上昇的傾向という二つの対立する傾向、別な言い方をすれば遠心的傾向と求心的傾向を考慮に入れねばならない。そしてこの両者のいずれが支配的であるかに従って、事象の補完的な二つの様相が生じるのである。一つは原理からの遠ざかりであり、もう一つは原理への回帰である。二つの傾向は種々様異なった割合で常に同時的に作用するのである。」
      抜粋終わり

      西洋の人間で、東洋の秘教的伝統を上手に表現した人物としてアレイスター・クロウリー(1875−1947)がいます。彼が開発したトートタロットカードのスモールカードにエネルギーの奥義が込められています。
      スモールカードにはWand/棒、Cup/杯、Sward/剣、Disc/円盤の4種類があります。
      クロウリーはそれぞれを四大元素の一つに対応させています。
      棒=火、杯=水、剣=風、円盤=地に対応させています。
      この棒がゲノンの言う遠心的傾向を、杯が求心的傾向を表しているのですね。
      表現を変えると、棒はソース、エネルギーを発する場所であって、磁石のN極なのです。
      そして、杯は人間、エネルギーを受け取る場所であって、磁石のS極なのです。
      このようにエネルギーの発する場所と受け取る場所がしっかりと定まるとこのN極とS極の間にエネルギーの流れである風が発生して、このエネルギーの正しい流れの結果として地=基盤=組織が形成されるのですね。
      私たち人間が謙虚にソースと繋がってそのエネルギーを受け取って表現すれば杯から他者他物の渇きを潤す水を泉の如く湧き出させて供給することが出来るのです。
      つまり、棒と杯は正しいエネルギーの流れを象徴するカードです。
      一方、剣と円盤というのはコブラの言う初期異常のエネルギーの流れを象徴してもいるのです。
      グノーシス文献のヨハネのアポクリフォンには、女性エネルギー=求心的エネルギーであるソフィアが自ら創造行為を行なった結果、つまり、ソースとのつながりなく創造行為を行なった結果、第一のアルコーンであるヤルダバオトを産んだと言うエピソードが語られています。
      求心的エネルギーが先に動いてしまうとブラックホールになってしまってそこから無理やり女性的な慈悲を欠いた無慈悲な男性エネルギー、他を切り刻むだけの攻撃的な剣=ヤルダバオトが生まれてしまうのです。
      円盤は盾でもあるのですが、盾のように防御するだけで他を受け付けないのですね。外界に背を向けて殻に閉じこもるだけ。とにかく強情で自分を守るために引きこもるわけです。善いものは自分だけで独り占めして他人には少しも分け与える気なのないのです。他人に何か頼まれれば全てお断りで扉を閉めてしまいます。それか、文句たらたらで恩着せがましく何かをしてやります。
      また、他人から何か言われると鋭い剣で他の人を攻撃するだけなのです。ネガティブな発言や行動ばかりで何一つポジティブな創造行為を行わない。
      そのような間違ったエネルギーの使い方を剣と円盤のカードは一方で象徴しているのです。

      私たちはまず杯にならなければなりません。
      瞑想を行って心を鎮めて一旦は思考、感情、認識を止めて空の容器にならなければならないのです。
      すると、そこにソースからのエネルギー/インスピレーションが惜しみなく注がれて、それを素直に表現すれば人々の渇きを癒す生命の泉になることが出来るのですね。

      本日はこの辺で。

      • #1580
        光の預言天使E.T.
        キーマスター

        忙しくてしばらく投稿見れませんでした。
        今回の内容も難しいですね。
        しかし、トートタロットの解説は参考になりました。
        以前ある方さんに占ってもらったので、自分なりに解釈してみます。
        ありがとうございました。

    • #1587
      Nennezabutonさんとこのある方

      本日は、ルネ・ゲノン著、田中義廣訳「世界の終末 現代世界の危機/La Crise du Monde Moderne」(1986、原著は1927)の38ページの文章を抜粋し、ルネ・ゲノンが西洋文明の問題点をどのように認識していたかを解説したいと思います。

      抜粋
      「現代文明の特徴の一つは東洋と西洋の分裂である。常に種々様々な文明が存在し、それぞれが独自の方法でそれぞれの民族や人種に適合する方向に発展していったことは事実である。しかし、このような区別は必ずしも対立を意味しない。諸文明が同一の原理原則に立脚する限り、非常に形の異なった文明間にも一種の同質性が成立し得る。これが、我々が正常な、もしくは伝統的と呼ぶあらゆる文明のケースである。これらの間にはいかなる本質的対立もない。多様性があったとしても、それは外的で表面的なものに過ぎない。ところが、いかなる高次の原理も認めない、というより事実上原理の否定の上にのみ立脚する文明は、そのことによって他の文明との相互理解の手段すら失っている。というのも、真の相互理解、深遠で効果的な理解は上部においてのみ確立されているのだが、これこそまさしく、異常で偏向した文明に欠けているものだから。それで世界の現状においては、一方に伝統的精神に忠実なあらゆる文明、すなわち東洋の諸文明があり、他方に本質的に反伝統的な一つの文明、すなわち現代西洋文明があることになる。」

      ルネ・ゲノンは以下のように文明を整理しています。

      高次の原理と繋がっている文明=多様性の中にも同一性を見出している文明=伝統的文明=東洋文明

      高次の原理を否定し、そこから分離している文明=多様性の中に対立を見出す文明=現代西洋文明

      コブラは人間に施された二つのインプラントについて言及しています。
      一つはセイクラルチャクラとハートチャクラのエネルギーの融合を阻害するインプラント。
      もう一つはソースと個人との繋がりを分断するインプラント。

      東洋文明の秘教的伝統は、自己の内面で起こっていることを詳細に観察する瞑想法を保持しています。
      ですから、この東洋の伝統が伝える内観瞑想を日頃実践している人は、コブラの性的ヒーリング瞑想を行えば、たちどころに、セイクラルチャクラからのエネルギーとハートチャクラからのエネルギーが出会えば、そこにレイライトとリキッドライトの融合によるトーラスフィールドの形成を体感し、薔薇十字の奥義やアンク十字の奥義を即座に理解するわけです。
      一方で、東洋が保持してきた内観瞑想の伝統を失ってしまった西洋文明に育った人間は、この内面観察が出来ないので、性的ヒーリング瞑想で自己の内面で起こるエネルギー現象を認識することが出来ないのですね。だから、コブラの指示する通りのことが自己の内面で起こっていることを妄想するしかない。
      そこには天と地ほどの開きがあるのです。

      上記に抜粋した文章では、ルネ・ゲノンが、現代西洋文明において、ソースと文明を分断するインプラントが文明レベルで施されていると主張しているのですね。
      このように、ソースから分断された諸文明は文明間の差異のみに目が行き、多様性の中の同一性を見出すことが出来ないので、これらの諸文明間では常に、対立、戦争、支配と奴隷化が絶えないのです。

      西洋文明の中に生を受けつつも、東洋の秘教的伝統を真摯に学んだルネ・ゲノンは、西洋文明の諸問題をソースの発出したロゴス、すなわち、高次の共通原理からの分離に見ていたのです。
      まさに、ルネ・ゲノンの慧眼と言えるでしょう。

    • #1590
      Nennezabutonさんとこのある方

      本日は、ルネ・ゲノン著、田中義廣訳「世界の終末 現代世界の危機/La Crise du Monde Moderne」(1986、原著は1927)の41-43ページの文章を抜粋し、根源的原理との繋がりをいまだに保っている「東洋的伝統」と現代西洋文明への危機感から生まれた自称「西洋的伝統」の違いについて考えてみたいと思います。

      抜粋
      「我々が言いたいのはまず、遥かな昔から原初の伝統の担い手は東洋に移ったこと、原初の伝統から発した教義を現在最も直接的な形で見出せるのは東洋であることだ。
      この指摘を補足するために、次のことについて簡単に説明しておこう。すなわち、現在あちこちで登場している「西洋的伝統」の復興という思想についてである。このような思想がもたらす興味は、結局のところ、それが次のことを示しているというだけにとどまる。現代の否定性にはもはや満足できず、現代が提供するものとは別の何かが必要だと感じ、現代の危機を脱出する唯一の方法として何らかの形で伝統に回帰する可能性を垣間見ている、そんな人々がいくらか存在する。それだけである。しかし、この「伝統主義」は真の伝統的精神と同じものではない。それは本当の認識に基づかない単なる心的傾向、漠然とした憧憬でしかあり得ないし、事実、多くの場合そうである。現代の精神的混乱状態においては、このような憧憬はしばしば、いかなるまともな根拠もない空想的概念を生み出すのだ。
      この種のことについては、次のものの名だけ挙げておこう。何人かのオカルティストがてんでばらばらな要素を寄せ集めて作り上げた自称「西洋的伝統」 ー 神智学協会一派の空想的な「東洋的伝統」に対抗するために作り上げられた「西洋的伝統」のことである。」

      ルネ・ゲノンの言う「東洋的伝統」と言うのは、私が「B.ロバーツの体験した無我の世界」やシャンカラの説くワンネスの世界」で解説したものなのです。
      すなわち、「自分」という現象を内観によって詳細に観察し、思考、感情、認識といった「自分」の諸機能を順次停止していってソース/一なるもの/根源的原理との合一/ワンネスに至る一連のプロセスが「東洋的伝統」なのです。
      このように「東洋的伝統」」は一元的です。

      一方、「西洋的伝統」は、常にソースと「自分」との間に「イエス・キリスト」だの「モリヤ大師」だの「クートフーミ大師」だの「ジュワルクール大師」だの超人的存在を媒介者として設定するのです。これらの超人的媒介に帰依さえしていれば、「自分」は自動的に救われると言うのが「西洋的伝統」と言うシステムなのです。
      まさに、ソースと「自分」との間に、この両者を分断するインプラントが仕込まれているわけですね。
      このように「西洋的伝統」は「ワンネス」を標榜しているものの、その実質は二元的なのです。

      一なるものの法則のラーは、かつて古代エジプトに降り立ち、一なるものの法則の普及活動を行いました。
      しかし、彼らの努力も虚しく、古代エジプト人たちは、単なるメッセンジャーに過ぎないラーを神の如く崇拝するようになったために、一なるものの法則に反して二元的認識に囚われてしまったために。やむなく古代エジプトを離れざるを得なくなったのです。

      私たちは今一度、自分が関わっているものが「東洋的伝統」に根差したものなのか?「西洋的伝統」に根差したものなのか?を自問自答してみる必要があるでしょう。

      • #1595
        光の預言天使E.T.
        キーマスター

        ある方さん、解説ありがとうございます。
        東洋的伝統の重要性が分かりました。
        東洋的伝統の重要性については過去にも聞いたことがありますが、
        今まで東洋的伝統に触れないまま来てしまいました。
        よろしければ東洋的伝統に触れられるおすすめ本を紹介してくれると嬉しいです。
        宜しくお願いします。

    • #1596
      Nennezabutonさんとこのある方

      ETさん
      ご質問ありがとうございます。

      東洋的伝統の真髄である、自己の内面を観察する瞑想法を習得するための書籍としては、私は以下の本をお勧めしたいと思います。

      ティク・ナット・ハン著、山端法玄・島田啓介訳「ブッダ<気づき>の瞑想」野草社(2011)

      この本には、ブッダが編み出した悟りに至る瞑想、ヴィパッサナ瞑想の全貌をブッダが余すところなく弟子に語って聞かせた「サティパッターナ・スッタ/四念処経」全文が掲載されており、ティク・ナット・ハン師のやさしい解説が付されています。

      この瞑想を修行することによって、私たちはハイアーセルフからのメッセージ/一なるものの法則で言うところの無限なる智慧からの無限なるエネルギーを受け取ることが出来る装置となることが可能となります。
      ここでハイアーセルフからのメッセージと聞いて、頭の中に声が聞こえることだと勘違いしないでください。
      声が聞こえると言うのは、ほとんどの場合、自分自身の妄想かアルコンのような悪霊による情報操作です。
      このハイアーセルフからのメッセージと言うのは言葉で表現出来ないものなので、自分で体感していただくしかないものなのです。
      人によっては瞑想の修行途上で頭の中に声が聞こえることもあるかもしれませんが、それは完全に無視して修行を続けなけfればならないのです。

      瞑想によってもたらされる効果を音波探知機という喩えを用いて説明したいと思います。

      私たち自身を10デシベル以上の音が聞こえる音波探知機だとしましょう。
      私たちは普段、10デシベル以上の雑音が自己の内面に発生しているのです。
      ですから、それを常に聞いています。
      どのような雑音かと言うと、それは、思考、感情、認識活動なのです。

      ヴィパッサナ瞑想には、これらの雑音を、修行が進むにつれて低下させる効果があります。
      最後にはこれらの雑音がゼロになります。

      ハイアーセルフのメッセージ/一なるものの法則で言うところの無限なる智慧からの無限なるエネルギーと言うのは、1デシベルの微細で精妙な音に例えることが出来ます。

      ヴィパッサナ瞑想には、10デシベル以上の音しか聞こえない私たちの音波探知機能を1デシベルの微細で精妙な音が聞こえるまでにチューンアップする効果があるのです。

      この1デシベルの微細で精妙な音が聞こえるようになれば、私たちはお経やタキオンヒーリングチャンバーといった「いかだ」を置いて、一人で彼岸を歩いて行けるようになるのです。

      ブッダはこう仰っています。

      釈尊は次のように語った。
      ーーー修行者たちよ、、絶対的安楽を得るために、こだわりの心から開放されるために、”筏の譬え”(いかだのたとえ)を説こう。

       修行者たちよ。例えば、道行く旅人が、大河に出あったとする。
       こちらの岸は危険であり、向こうの岸は安全である。しかし船も橋もない。

      そこで旅人は考えた。「大きな河だ。しかし、こちらの岸は危険で向こうの岸は安全だから渡るしかない。でも、船も橋もない。とするなら、葦や木や枝を集めて筏を作り、手足で漕いで渡るしかない」

      そこで、彼の人は、葦や木や枝を集めて筏を作り、手足で漕いで渡った。
      次に、この人は考えた。「この筏は、大変役に立った。この筏のお陰で、大河を渡ることが出来た。さあ、次に私はこの筏を担いで道を歩いて行こう」

       さあ、この人は、適切な行動をとっているか? 否か?
      ーーー弟子たちは「否」と言った。釈尊は続けた。
      では、どうするのが適当か考えてみよう。

      「この筏は,大変役に立った。この筏のお陰で大河を渡ることが出来た。さあ、私はこの筏を河中か岸辺に置いて、道を歩いていこう」

      このように行う人こそ、適切な行いをした人である。
      修行者たちよ、絶対的な安楽を得るために、こだわりの心から開放されるために、私は以上のように、”筏の譬え”を説いた。どうか修行者たちよ、この譬えの意味をよく理解せよ。教えをすら捨て去るべき時がある。なおさら、誤った教えは捨て去らねばならない。
                                    (マッジマ・ニカーヤ)

    • #1606
      nennezabutonとこのある方

      本日は、ルネ・ゲノン著、田中義廣訳「世界の終末 現代世界の危機/La Crise du Monde Moderne」(1986、原著は1927)の62-64ページの文章を抜粋し、東洋の秘教的伝統と現代西洋文明が生んだ鬼子である西洋の擬似的な秘教的伝統の違いについて述べてみようと思います。

      抜粋
      「東洋と西洋の対比を次のように言うこともできよう。東洋は行動に対する観想の優位を堅持しているのに対し、現代の西洋は逆に観想に対する行動の優位を断定していると。
      現代西洋精神は本来持っている傾向に引きずられ、観想にいかなる価値も認めないところまで行ってしまった。現代精神は観想の真の性質を全く知らないか誤解しているのである。
      東洋の教義及び西洋の昔の教義は、不動が変化に勝ることを認める点で一致している。行動の現実性、実在、その可能性さえもそこから発しているこの原理は、観想の中にしか、あるいは、認識の中にしか見出し得ない。認識と観想は同義語である。
      原理は、変化の原理であるそのこと自体からして、変化に従属することはあり得ず、必然的に不動であるのだ。それゆえ、西洋古代のアリストテレスは、あらゆるものに「不動の動者」の必要性を認めたのである。
      認識は自分自身も不動性を獲得するのである。それは、あらゆる真の認識は本質的にその対象と一体化するものであるからだ。このことは、まさに現代の西洋人が知らないことである。」
      抜粋終わり

      東洋の秘教的伝統が護持する観想的瞑想は、ひたすら”私”という現象を観察し、”私”が完全に消滅した向こうにある”始源的原理”との合一を目指します。
      この瞑想で至る究極的境地を英語で表現するならば、”be”と表現できるでしょう。

      一方、現代的西洋文明が生んだ”擬似的な秘教的伝統”が用いる行動的瞑想はひたすら”私”とは異なる何らかの”対象物”を視覚化し、何らかの効果を得ようとするものです。
      そして、そのような瞑想が目指す究極的境地が”I am presense”だとされます。
      この境地では、未だに”私”を超えていないので”自他の区別”=”I”があり、空間という概念を作り出す”対象”=”presense”があり、時間という概念を作り出す点Aから点Bへの”動き”=”am”が残されたままです。

      一なるものの法則のラーがいうところの”歪み/distortion”が鎮ってはいないのです。
      歪みが完全に鎮った始源的原理である”be”には至っていないのです。
      自他の区別も時空も動きも消滅した”ただ在ること”には至っていないのです。

      イエスキリストやブッダはこの”I am presense”の境地を”悪魔の誘惑”として、”真の根源/ソース”の”偽情報”だとして退けたのです。

      • #1624
        光の預言天使E.T.
        キーマスター

        なるほど、変化より不動のほうが上で西洋の価値観で文明を作っても
        自然の理には勝てないということですか。
        自分自身を悟るほうが大切で、いくら文明を造って豊かになっても
        本物の悟りには及ばないと。
        Beとpresenseの解説があればより分かりやすいと思います。

    • #1613
      nennezabuton

      今回何言ってるのかよくわからないです。
      わかりやすい解説をお願いします。

    • #1614
      Nennezabutonさんとこのある方

      nennezabutonさん
      質問ありがとうございます

      何を言っているか分からないと言うnennezabutonさんの質問自体が、ルネ・ゲノンが問題視している現代西洋文明、そして、それに犯されてしまった現代日本の問題を明らかにしています。

      東洋の秘教的伝統では、師匠に言われて分からなかったことは、弟子が瞑想の修行をして、それが分かるように、体感できるように、自分の心のシステムをシフトアップさせて理解すべきと言う立場なのです。

      一方、現代西洋文明では、分からないものを、自分が分かるように師匠から言われたことを自分が分かるように切り刻んで理解しようとするのです。
      そのように理解した知識は、もはや師匠が語った言葉とは似て非なる偽物に過ぎないのです。

      白と黒の間には無限の色調の灰色があります。

      東洋の秘教的伝統では、この無限の色調の灰色をありのままに捉えられるように自身の認識システムをシフトアップすべく修行に励みます。

      一方、現代西洋文明では、そのような中途半端な灰色を面倒なので白か黒かどちらなのかはっきりさせろと文句を言って、白か黒かに決めてしまうのです。
      あたかも、無限の色調の灰色などないかのように。

      nennezabutonさんも、修行が進めば私が何を言っているのか理解する日が訪れることでしょう。
      今、理解しようとしても現代西洋文明のマトリックスに捕らえられるだけです。
      修行が進んで、自身がこのマトリックスから離脱できるまで、理解しようとしないことです。

    • #1615
      nennezabuton

      なるほど了解しました!!
      ありがとうございます!!

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