ホームページ『超人類と超古代 新人類と未来』の復刻3 悪魔、悪魔崇拝
悪魔
悪魔とは一体何を示しているのでしょうか?
一神教である宗教は、悪魔も神が作り出したものと説いています。
この考えは、あながち間違ってはいません。
悪魔は外に存在するものではありません。
悪魔とは人の心に巣食う闇なのです。
具体的に定義しますと、無への欲求心です。
生命は常に有への欲求心を持つことで自己のアイデンティティーを確立してきました。
生命自体が有なのですから無は避けるべきものあり、
それと同時に生命には完全な無が存在しない事を意味しています。
つまり、意思を持った完全で絶対的な悪魔は存在しないとの事です。
破壊、殺人、暴力は全て無への欲求心が起こすものです。
我々には、これら無への欲求心が存在しません。
より高度な存在な筈の旧人類が、同族を殺めるのは相反する無への欲求心が起きているからです。
これは何故起こるのでしょうか?
それは、現状に不満を持っているからなのです。
では、その気持ちを無への欲求ではなく有への欲求へ向けられないものなのでしょうか?
そもそも何故、無への欲求は無くならないのでしょうか?
それは、旧人類社会のシステム自体が闇を背負っているからなのです。
この闇とは一体何であるか、私の様々な話しを聞いて頂ければ何れお分かりになられる事と思います。
悪魔崇拝
宗教は有への道であり、我々は無への道を説く行為を宗教として定義しませんでした。
ご存知のように、キリスト教や多くの宗教は
既存の宗教を悪と定義して弾劾してきました。
現在、悪魔と定義されるものもキリスト教によって駆逐された異教の神々に過ぎません。
サタンにしても、イエスの時代では“遮るもの”との意味しか持っていませんでした。
他の例えとして“意を異にするもの”の意味しか持っていました。
それらを、悪魔と定義したのは何故でしょうか。
要は、自分と意見を異にするものの存在が許されなかっただけなのです。
サタンを悪魔として思想弾圧し、己の宗教概念と意を同じくするものだけが救われ
神に近い存在と洗脳する行為は非常に簡単です。
日本は八百万の神々が住まう国であり 今も惟神の神道を守っていますが、
それでも悪魔とまでは表現されなくても、妖怪や物の怪として定義される存在があります。
だからといって、これら存在を撲滅せしめる事は殆ど無く、共存の伝統が受け継がれてきました。
一体、一神教は何を齎したのでしょうか?
一神教は、過去の魔女狩り裁判や異端審問や十字軍遠征を持ち出すまでも無く、
昨今のイスラム原理主義による行為を持ち出すまでもなく、多くの殺戮と差別と迫害を生みました。
グノーシスは我々の意志に近い概念を有していましたが、それすらもキリスト教は悪魔信仰として弾劾しました。
これら相反する宗教を悪魔崇拝と定義し糾弾する行為は、果たして正しいと言えるのでしょうか。
キリスト教徒がそのように定義するのであれば、
我々はキリスト教も悪魔崇拝を行う悪魔教と定義し、
超人類であったイエスまでをも悪魔として糾弾しなければならなくなります。
現在、既存の宗教が弾劾する悪とは、
偽りの正義が生み出したものであり、実際の悪とは全く異なります。
大宗教により悪魔教と定義されているのが、
迫害された宗教との事はお分かりになられたと思います。
それとは対照的に、悪魔的な行為を行う旧人類の定義するところのカルト宗教が存在することも確かです。
殺人や暴行は悪です。そして、それらを奨励する宗教には無への欲求があります。
集団自殺を奨励する宗教、殺人を奨励する宗教、
それら宗教の欲求が無、即ち悪であっても真の宗教となるには、有の思想への転化が必要です。
キリスト教は多くの罪もない人々を虐殺してきました。
イスラム原理主義は正義の名の元に多くの人々を虐殺しています。
このように双方共、同じ行為をしてきた宗教であり、お互いを責める権利は有していません。
何故、旧人類は自分と意見の相容れない存在を悪と定義し、糾弾したがるのでしょうか。
そういった糾弾行為こそが、悪への道を生み出しているのです。
相手に悪との烙印を押すことは非常に楽で好都合な行為ですが、
自身の精神的価値を貶めているとの現実を直視するべきでしょう。
他人と意見が違うことが、他人と行動や外見が違うことが悪なのでしょうか?
旧人類が誤った悪の定義、宗教の定義を見直さない限り、
この世から悪への欲求も永遠に消えない事でしょうし、宗教も権力と矛盾に執着し続ける事でしょう。
光ある限り闇は在る。それは、当たり前です。しかし、その比喩は現実とは違っています。
闇や暗黒は無ではありません。闇も有なのです。無には光も闇も存在しません。
無は、即ち無であり、無こそが唯一無比の絶対悪なのです。
存在の対称軸が無である限り、存在が存在で無くならない限り、無も無いのです。
悪魔を求める信仰とは、無への執着です。
悪魔とは、人の心に巣食う無への欲求です。
この現実を比喩としてではなく、旧人類全てが気付かれる事を願います。
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