ホームページ『超人類と超古代 新人類と未来』の復刻6 精神病、競争
精神病
現代日本人は、我々の解釈で70%が鬱病との統計も理解できます。
我々には鬱病を含む精神病は存在しません。
原因を究明し解釈し、その根本である環境を改善した結果、疾うの昔に克服しました。
人類は精神病に対し余りにも無知であり、未だに何ら改善策を見いだせられないでいます。
日本人の生活自体が、稀に見るストレスの温床なのです。
我々からすれば70%の鬱病患者とそれに準ずる症状のある日本人は病人です。
そして、その日本人の価値観からすれば我々は理解不能な病人に見える事でしょう。
殆どの旧人類は、我々を精神異常者と捉える事でしょう。
しかし、我々からすれば全くの逆なのです。
貴方方、現代人は未来人から見れば異常に見えますし
古代人からみても異常に見えることでしょう。
その逆もあることでしょう。
今の常識が未来の非常識になる事もあります。
今の非常識が未来の常識になる事もあります。
しかし、どちらが生命として豊かな心を持っているかは明白ではないでしょうか。
我々は精神病を含む全ての病を疾うの昔に克服しました。
自己保身の為に生きる旧人類にもかかわらず、
精神病を克服出来ないでいるのは悲しい事に自己欲求が邪魔をしているからです。
日本は、世界でも稀な鬱病発症に適した環境です。
教育・仕事・対人環境・生活環境、どれをとってもです。
妬み・嫉妬・恨み・不満もまた健全な精神状態ではなく、
我々はこれらの症状も過去に病気と判断しました。
故に、旧人類は殆どが病に侵されていると言えるでしょう。
競争
我々は争いを致しません。
スポーツも自己鍛錬のみです。
優劣や勝敗を決める事はありません。
争いや競争が人類の発展に繋がるなどとの発想は間違っています。
我々は争いを捨てても進歩発展しました。
これは偏に自己向上心と探究心の力によります。
しいて競争に近いものを挙げるとすれば、自身との競争でしょうか。
人類がこの考えに及ぶには、現代の環境では到底無理でしょう。
超人類が幼少期に何度も親から躾けられる事は、
相手の立場になり相手の話を聞き、相手の違いを理解せよとの事です。
非常に簡単な事なのですが、人類はこの発想を理解しても行動する事が出来ません。
競争社会に生き、他人を蹴落としても生き残れと
物心がついた時から教育されている旧人類には難しい事なのでしょう。
またそれを諭すべき宗教も教団の利益や強大化を望み、他宗教を認めようとはしません。
我々は現在、満ち足りた差別の無い競争も無い社会に生きております。
我々は自身に何ら不満はありません。
故に、他人の心を理解しようとする心の余裕も生まれるのでしょう。
我々の未来は、自己探求心の解明と他との共栄共存の為に存在します。
今、我々は精神的に健康体でありますが、
常に自己向上と探究心の飽くなき欲求が存在します。
旧人類からすれば到底理解出来ない欲求ですが、その欲求が我々を進歩させました。
分かりやすく説明致しましょう。
貴方方にも趣味はあると思います。
その趣味は全て他人との競争の為に行っているのでしょうか?
否、他人を介さない自己満足の為だけの趣味もあります。
我々の存在理由と、旧人類の趣味は似ているのかもしれません。
趣味より更に世界も広く壮大な研究でしょうが・・・。
自己向上心は貴方にはありませんか?
自分の国家を良くしようとは思いませんか?
便利で快適な生活をしたいと思いませんか?
趣味はありませんか?
他人を愛し守りたいという気持ちはありますか?
これら一部を取っても他人との競争無しで向上できるものなのです。
貴方方に必要なのは他人との競争ではなく他人との協調なのです。
それと自己探究心を開花させる時間と環境です。
我々は貴方方からすれば、学生や教授のようなものでしょうか。
生涯に渡り、探求の為に生きています。
しかし学生や教授とは異なり、生産性も伴っています。
日々、人類と自身の向上を行っているからです。
今は我々の発言を空想上の話としてしか理解出来ないのは、仕方のない事でしょう。
しかし、何れこの我々の発言が現実だと分かる事でしょう。
その時には、今より良い世の中になっている事を祈るのみです。
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