日月神示と龍宮神示 2023年10月14日
皆さんこんにちは、光の預言天使E.T.です。
この陰謀スピリチュアル界隈にいる方は「日月神示」について知っている方は多いと思います。
ただ当初「日月神示」は神社関係者にどう見られていたかは知っている人は少ないと思われます。
それについて書きます。
「龍宮神示」(1995年8月31日刊)という本があります。
ここに「日月神示」の当初の評価が書かれています。
抜粋 P162~164
「梅の神業団体」大本教には直の下ろす筆先という預言と神示が存在するが、「松の神業団体」三保錦宮には元伊勢真名井神社の真名井竜神から「龍宮神示」という神示が下された。
大本教系の神示として取り上げなければならないのは、一時期「錦宮」に移住していた岡本天明の日月大神(スサノオ)から下された「日月神示」に関しての話である。
一般の人々に大いなる誤解が生じているようなのでお断りする。「日月神示」は近年ブームになって有名であるが、この「神示」には当初から多少の問題があったことを記しておこう。
天明が錦宮に移住した頃、天水は「日月神示」をジッと読んでいたが、おかしな箇所に遭遇し、考え込んでいた。そして共に錦宮にいる友人の武智時三郎に相談した。
「武智さん、私は『日月神示』を2回繰り返し読んでみたがおかしいな、神様がこんなことを言われるはずがない」と何箇所かの疑問の点を示した。
「そうか、わしもそのように思う」と武智も同意する。天明を天水に紹介した武智は、さっそく天明を呼び寄せ、事の真相を尋ねた。
「お前、これはほんまに神様が下ろしたんか?」武智は天明の師匠である。その気迫に押されて天明は低頭したという。
「すんません。わしの意志だったように思います」
武智は「そうか」と言っただけで、次の言葉がなかった。
「なんでこのようなものを書いたんや。自分が偉くなりたかったからか?」
「申し訳ありません」ただ天明は謝りつづけた。
その後、人の良い天水は「誰にでも読んでもらえれば」と「龍宮神示」を天明に渡していたが、天明が奥山の月刊通信「預言と霊界」にその一部を連載し始めたところ、ただちに反響を呼び、誰が作者かと尋ねる人たちが出てきた。そうすると天明はプッツリと連載をやめてしまった。
その後「錦宮」と天明は疎遠になっていく。
筆者は岡本天明氏の名誉を不当に傷つける気持ちは毛頭ない。ただ、大本のお筆先の続きであるかのように宣伝してブームを呼んでいる「日月神示」だが、以上のような経過で本部大本教においても、「松の神業」を出口王仁三郎から継承した辻天水の「錦宮」においても日月神示は本当の神示として完全には認証されていないものであることははっきりとしておきたい。だから日月神示を「大本の正当神示」と見るのは間違いである。「元大本教関係者、岡本天明に下りた神示」とするのが正確と言えるだろう。
しかしながら、この神示は一つの教訓が示されている。それは「奢りの心をなくせ。奢りの心こそが、世の終末を招く元凶なのである」という教訓である。
「松神業」と対をなす神示の正統は王仁三郎より正式に裏神業を継承した辻天水が、真名井竜神より下された「龍宮神示」であると言える。
この神示は「たま問答」「貴の神火山」「天の巻」「美水木物語」「三界物語」という五つの章に分かれてくる。
筆者もさる縁があって、「龍宮神示」を拝見したが、文章の品格も高く、まさに正神の言葉とはかくもありなんと思わせるものであった。このような素晴らしいものが、世にまだよく知られていないのは遺憾である。
抜粋終わり
私は日月神示をすべて読んだわけではないですが、ウィキペディアを読んだ範囲でも疑問点がありました。
この部分です。
- 人は死ぬ時の想念がそのまま続くので、その想念に応じた世界に住むことになるのである。この世を天国として暮らしていた人は天国へ、地獄と感じて生きていた人は自ら地獄的な想念を作り出してそのような世界に住むことになる。
これに関しては疑問ですね。この価値観だと利己的や偽善的に生きた人間が得をして現世で天国的な生活を送り、死後の世界でも天国に行くことになり、素朴で善良な人や自己犠牲的な人は周りが利己的な人ばかりで利他的な人がいなかった場合、地獄的生活に追い込まれて結果、死後地獄的想念を作り出して地獄のような世界に住むことになります。これの解釈には非常に困って私の考える死後の世界の価値観と違って???となりました。
ウィキペディアから削除されたようですが、岡本天明氏はなぜ大した人間でもない自分に神霊がかかったのか理解できなかったそうです。岡本天明氏は戦時中に満足に酒を飲めてのんきに生活していた人です。そのような彼の価値観がこのような啓示内容を無意識に自分で生み出してしまったのではないかとも思えます。
龍宮神示の内容(一部)
〔問〕
魂を磨く 霊場である現世は 魂が磨かれ終えれば無くなるのですか?
〔答〕
濁るものが無限にあるのに いつの日にこの現世が、どのように無くなるというのでしょう。
〔問〕
それならば、地上界は、どのようにして地上の神界となるのですか?
〔答〕
清濁は時が解決するのです。
悲しむべきは秩序の乱れです。
〔問〕
ただ秩序の乱れというならば、地上界は神界のように清らかになるのですね。
〔答〕
濁るものが常にあっても、秩序があれば神界のようになります。
〔問〕
それは、神界の様子をそのまま真似ることになるのですか?
〔答〕
いいえ、それは行為ではありません、心が神のようになるということです。人の創意はそこに働きます。
〔問〕
創意というのは心を形にする大きな仕組みではありませんか?それも無為と言うのですか?
〔答〕
創意というのは神の心を写した魂が現世と結合することで、ものを生み出す事ではありません。
〔問〕
地上界が乱れていても神界を、そのまま写せばよいではないですか?
〔答〕
一散に坂をかけ下っている群衆を無理にとめたなら滅ぼしてしまいます。
〔問〕
しかし何時かその群衆を止めずに、神界を現世に写せば、同じ事になるのでは?
〔答〕
時間が何もかも解決します。
坂道は果てなく続いているのではありません、
〔問〕
では腕をこまねいて見ていればいいのですか?
〔答〕
いいえ、その為に神業があります。
神業を成しおえなければ、この世は滅びます。
〔問〕
一厘の仕組みとはそのことを言うのですか?
〔答〕
よくそこに気付きました。神芝居を意味ないものと笑って捨てないでください。
〔問〕
その様な素晴らしい神業をする人は幸いですね。私も進んでいたしましょう。
〔答〕
神業にも良縁、悪縁があります。
良く見えるものに悪縁が多いのです。
〔問〕
神業をした人は後に高い位をもらえて、栄えるのですか?
〔答〕
神業に仕えることは因縁です。
幸福とは別の要素です。
〔問〕
では、私はどのようにして自分の幸せを願えばいいのですか?
〔答〕
願うこと自体がよくないことです、
赤ん坊にかえって真愚になりなさい。
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