トールホワイトエイリアンからのメッセージ その3
Spiritual-lightさんがトールホワイトの記事を翻訳してくれたのでシェアします。
トールホワイトエイリアンからのメッセージ
その3
Spiritual-lightより
日本においては、プレアデス、シリウス、アルクトゥルスなどの異星人に関する資料が多数邦訳されている一方、トールホワイトの資料に関しては膨大な英文資料が存在していながらほとんどが未邦訳です。
そこで、トールホワイトに関する膨大な情報を開示しているtall-white-aliens.comの記事を順次翻訳していくことにします。 皆さんの参考になれば幸いです。
原文
トールホワイトエイリアンからのメッセージ
その3
シナイ山での神の法
地球上の人類は多くのものごとに対して“不可能“という言葉を用います。私たちは異なった意見を持っています。なぜならば、私たちが今日ユートピアとみなすことは、明日には可能となるかも知れないからです。ですから、ユートピアなるものは存在しないのです。もし、ある人物が4,000年前の人々に今日私たちが共有しているものごとについて話したならば、4,000年前の人々は例外なくそれらを不可能だと言うでしょう。4,000年前のユートピアは今日現実のものとなっているのです。現在の世代のファンタジーは確実に実現可能なのです。それゆえ、私たちは人が私たちの存在を疑うことを全くもって理解出来ないのです。なぜ、人は私たちが光を超える速さで旅行出来ることを理解出来ないのでしょうか?なぜ、人は非物質化現象が存在する可能性を疑うのでしょうか?
ユートピアなどないのです。現実化する方法を知っていれば全ては可能なのです。私たちや私たちの祖先が各々、地球に私たちの法をもたらしたのもユートピアではないのです。シナイ山において、私たちは地球人に私たちの法を手渡しました。私は過去に一度、このことについて詳しく示しました。もし、この重要な出来事が起きたことが疑わしく思えるのであれば、それは当時の人々がテクノロジーに無知であったことが主な原因なのです。
彼らが宇宙船での宇宙旅行について知ることが出来たでしょうか?モーゼの見解では、宇宙船は“上なる神“だったのです。そして、その乗組員たちは“上なる神の使い“だったのです。サイレンは“神のラッパ“だったのです。そして、宇宙船の反重力は“誰かに死をもたらす“超えてはならない一線を示す神の約束だったのです。
これらのこと全ては、人が頭を使おうと思えば理解するのは簡単なことです。あなた方はシナイ山で受け取った律法を正しく理解するだけの技術的な経験を有しているのです。そこに疑いの余地はありません。なぜなら、いかなる疑いも精神的な混乱を示唆しているからです。この最もらしい律法を理解しない人は、自動車をどのように操作するのか、自動車がどのようなエネルギーで動くのかも知らないのです。
しかし、このような理解を妨げる邪悪な人々も存在します。一般的には、これらの人々は黙ってはいません。中には、非常に有名な政治的権力者や科学者もいるのです。同様に、神学の分野にもいるのです。これらの邪悪な人々はスピリチュアルな目を塞ぐのです。これらの人々は真実が知られることを欲しません。なぜなら、真実は彼らを不安にさせるからなのでしょう。無神論者は神の命令を疑います。彼らは神の存在は不可能だと思っています。地球外の種族が稲妻が光り、雷鳴が轟くシナイ山の山頂で一人の人間に語りかけたことなどあり得ないと考えています。
イスラエル人は彼らの前を炎の雲が移動していくのを見ました。この炎の柱は水平に浮かんでいました。ユダヤの神学者が推測したように、この炎の柱は垂直に浮かんではいなかったのです。聖書の中にはどこにも炎の柱が垂直であったという記述はありません。この炎の柱は私たちの宇宙船の一つだったのです。言うなれば、母船です。これらの光のオーラはあらゆる私たちの飛行物体上に、今でも観察することが出来ます。
私たちの支配下にある宇宙船の素材はガラスのような物質から成り、それはあなた方の普通のガラスより硬いものです。色は黄緑色に近い色をしています。聖書はその色合いをクリソライト(訳注1)に似た色と記述しています。
(訳注1:黄色から緑色をしたいくつかの鉱物に付けられた名称です。主に、黄色から緑色のベリル(ベリルの仲間として、ゴシェナイト、アクアマリン、モルガナイト、エメラルドがあります)がこの名前で呼ばれることが多いようです。)
反重力は非常に強力なので、宇宙船の着陸は硬い岩の上で行われる必要があります。シナイ山に着陸したサイズの私たちの宇宙船は、エトナ山や今日の似たような山々に着陸しています。誰かが怪我をするといけないので、イスラエル人は境界線より後ろに留まるように言われたのです。この境界線を越えて中に侵入すると、命の危険があったのです。大きな音のサイレンは人々に境界線を越えないように警告する音だったのです。モーゼだけが反重力装置の作動が止められた後に境界線を越えて中に入ることを許されたのです。彼は適切な時期に侵入許可の信号を受け取っていたのです。稲妻を雷鳴もなかったのです。そのように見えたのは宇宙船の騒音と変化する光のオーラだったのです。反重力フィールド形成装置が作動した時、イスラエル人は恐怖のあまり四方八方に逃げ出したのです。
問:無神論は共産主義国の宗教です。これらの国では、教会を行動主義心理学の産物だとみなしても不思議ではありません。無神論のこれらの国においては、教会を廃止するのに十分な財政的意味がありました。私たちはどのようにこの邪悪を治療することが出来るでしょうか?
答:ある宗教は、人が臨終を迎えるにあたって、いと高き裁きの御前にて、罪への責任から人に恩赦を与えます。この儀式は、罪に溺れ死後の裁きを恐れる人にとって“溺れる人は藁をも掴む“のことわざにおける一本の藁のようなものです。しかし、このような宗教はただの一本の藁に過ぎず、命綱とはなりません。私たちは人類に提供するものは、この命綱であって、それはあなた方次第なのです。私たちはこの地球上の友人が真実を拡散するために一生懸命働いていることを知っています。私たちはあなた方に財政的支援を提供することは出来ません。私たちはあなた方に真実のみを提供します。あらゆるものごとは進歩のために提供されるのです。私たちは現在のところ、この進歩に信頼を置いています。
共産主義における無神論もまた、放棄されなければなりません。なぜなら、真実は自らを開示するものではないからです。私たちは教会の視野があまりにも狭く、彼らが真実を認識していないことにただ驚いています。この視野の狭さは彼らの課題であり、視野を啓(ひら)くことが彼らの聖なるミッションであり、私たちのミッションでもあるのです。
もし、人々が高次の力、神を本当に信じるならば、この地球上のものごとは全く異なって見えることでしょう。この惑星は無知の闇によって封じられているのです。このために地上において殺人と騒乱があるのです。私たちはあなた方に無信仰が誤りであることを知らせる取り組みをしているのです。この課題は容易ではありません。なぜなら、ほとんどの威厳ある真実は、悪意によってねじ曲げられ本質を損なわれてしまう可能性があるからです。宗教団体もこの危険性を免れてはいないのです。狂信者と教条主義者は頑強に自分自身の見解に執着し、あえてこのことに疑念を抱くことは彼にとって苦痛なのです。多くの成果がもたらされ、シナイ山で受け取った律法が確証されるや否や、多くのものごとが変化することが避けられないのです。地球上の人々が何かを恐れる時、彼らは命令に従います。このゆえに神の律法は恐れられなければならないのです。
私たちの法は今生のみに適用されるものではありません。そうではなく、死後の新しい世(天国)においても有効なのです。メッセンジャーであるキリストはそのことを厳かに示したのです。
私たちの法は行動主義心理学に懸念を示すだけではありません。この法は地上の法以上のものなのです。それは自然の法の一部なのです。自然の法に逆らう者は相応の報いを受けるとになるでしょう。私が既に無神論について語りましたが、私は一神教もまた、無神論的要素を含んでいることを強調したいと思います。なぜなら、その教義の中には偽善的な空論が含まれているからです。
社会の指導者層は死すれば人間の意識は永遠に消え去るという見解に立っています。これらの人々はこの命題を堅持しています。彼らは憤然として、同時に、高圧的にその他の説を受け入れないのです。この恐るべき逸脱が彼らの決定に大きな影響を与えるのは驚きではありません。
ある指導的政治家は自分は宗教を迷信だとみなして名声を得ました。私たちは神すなわち高次の地球外の力が存在するという結論に非常に重きを置いています。また、この宇宙における人間という存在は多くの異なった相で繰り広げらているとはいえ、不滅性を保持していることを重要だとみなしています。これらの存在のうちにはスピリチュアルな存在の意識ある相があり、この相では、人は全ての思考と行動を逐一明かさなければならないのです。
教会は人間の助けとならない一連の教義を打ち立てました。彼らはむしろ、奈落の底へと人々を誘うのです。これらの教義の一つが”裁きの日”と”復活”です。人は意識ある魂の”復活”について長々と議論する必要はないのです。とはいえ、”裁きの日”は大変重要です。なぜなら、いわゆる裁きの日は人の地上での物質的な存在の最後の日だからです。
翻訳:spiritual-light
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